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海外生活に憧れたきっかけ ➀〜私が一歩踏み出した日〜

はるか
はるか

私が海外に憧れたきっかけやそれからのことをブログにまとめました!
夢を叶えたお話しです。とても長いので2回に分けますね。

海外への憧れと、叶わなかった留学

私が海外生活に憧れたきっかけは、なんとドラマでした。
高校時代に夢中になって観ていた「ビバリーヒルズ高校白書」と「ビバリーヒルズ青春白書」。

そこに映るアメリカの高校生たちの生活が、とにかくキラキラして見えたのです。

「海外では毎週末パーティーがあるんだ!」
「こんな恋愛してみたいな…」

ドラマの世界に心をときめかせるうちに、次第に「自分も海外で暮らしてみたい」と強く思うようになりました。

留学への挑戦、そして挫折

ちょうど通っていた高校には交換留学制度があり、「これはチャンス!」と応募を決意。
ところが英語の成績が足りず、残念ながら選考には通りませんでした。

それでもあきらめきれず、「じゃあ夏休みの海外研修なら…!」と親に相談。

しかし当時、我が家はリーマンショックの影響を大きく受けており、弟の受験も重なって費用の捻出は難しいとのこと。

「私にはやっぱり無理なのか…」と一度は落ち込みました。
それでも、「いつかは海外へ」という思いは消えませんでした。

当時、私は小学校の先生を目指していたこともあり、進学時には「必ず日本人学校の先生になる」と心に決めていました。
「この夢ならきっと叶えられるはず!」——そう信じて、新たな一歩を踏み出したのです。

教員としての現実と、心の病気

大学を卒業し、念願だった小学校の先生になりました。
「子どもたちと向き合い、子どもたちの個性を尊重できる先生になるんだ」と胸を弾ませてスタートした教員生活。

けれど現実は想像以上に厳しいものでした。
理想としていた「一人ひとりの子どもとじっくり向き合う時間」はほとんど取れず、日々の業務に追われる中で、自分の気持ちに余裕がなくなっていきました。

「こんなはずじゃなかったのに…」という思いが積もり積もり、次第に心も体も疲弊していきました。

そして、ついには心の病気を抱えることになり、休職することになったのです。

海外への再チャレンジ

休職期間中、それまで走り続けてきた教員生活から一歩離れたことで、
ようやく「自分は本当はどうしたいんだろう?」とじっくり向き合う時間ができました。

そんなある日、ふと頭に浮かんだのが「海外」というキーワード。
胸の奥にずっとあった憧れが再び顔を出してきたのです。

「この際、海外に行って仕事をしてみよう!」
「教員の仕事は帰国してからでもきっとできる。」

そう思った瞬間、不思議と気持ちが軽くなり、前向きなエネルギーが湧いてきました。

  • この記事を書いた人

中井明香/親子つながり専門家

子どもの個性とママの想いを”つなげる”架け橋を担っています

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